飛行機に限らず、日常生活の中で「お医者様いますか?的シチュエーション」に遭遇する機会は実際にあるものです。
私は過去に飛行機内で1回、駅の中で1回、海で2回遭遇しました。
このような場合に名乗り出るのか出ないのか迷わない、という医師はいないと思います。
この様なときこそ医師として人助けがしたい、役に立ちたいという考えと、自分の専門外の疾患だったらどうしよう。敢えて火中の栗を拾いに行くことは避けたいという気持ちとの間で逡巡するのは当然のことだと思います。医師には専門の診療科があり、近年は特に医療の高度化が進んでいるため、より名乗り出にくい傾向が進んでいると思います。
総合診療科や救急部の医師はあらゆるEmergencyに対応可能と思われがちですが、実際の救急の現場では救急部の医師はファーストタッチとトリアージまでで、診断が付いたら各診療科にコンサルト、という病院が多いのではないかと思います。もし、ファーストタッチから退院までを一人で診られている救急部の先生がいらっしゃいましたら、大変失礼な言い方になってしまい申し訳ありません。本記事では、その是非を問うているのではなく現実的には難しいのでは?というクエスチョンに対する考察であるとご理解下さい。
たとえば、「腹痛」はとても一般的な主訴ですが、もし患者さんが妊婦さんだった場合を考えてみましょう。妊娠に気付かずに腹痛で来院して妊娠が発覚する症例にはしばしば出くわしますが、来院の時点で妊婦さんだと分かっている場合は、ノータッチで産婦人科コールとなり、産婦人科以外の医師がファーストタッチすることは少ないのではないかと思います。陣発なのか、常位胎盤早期剥離なのか、切迫早産なのか、単なる胃腸炎なのか、産婦人科医以外には判断が難しいのではないでしょうか。
最近の大病院では減りましたが、私がかつて勤務していた某病院では全科当直がまかり通っていましたので内科医が外傷を縫合することも、外科医が小児の喘息診ることも日常的でしたが、妊婦さんだけは産婦人科医が診ていました。救急部の先生が「早剥(常位胎盤早期剥離)で出血ひどいし、児心音低下しているから緊急帝王切開!」と叫んでいる姿は見たことがありません(私の医師遍歴はこちら)。
飛行機内のドクターコールの怖さはここにあります。患者情報どころか主訴すら分からない状況下での診察依頼です。「もしかしたら妊婦さんかもしれない・・・」「新生児かもしれない・・・」ましてや、「その両方+骨盤位」なんて状況には太刀打ちできないのが普通です。漫画の世界を除いて。
医療漫画好きの私ですが、この漫画は斎藤工さん主演のドラマで見ていました。淡々としていながらも、ひたむきに患者さんを救う小児外科医の西條命(さいじょうみこと)役を演じる斎藤工さんの「全部治すよ。僕達で全部治せば良い」という台詞が心に刺さり何度も涙したドラマです。
最上の名医 アマゾンプライムドラマの冒頭で、主人公の命が米国から帰国する機内で乗り合わせた妊婦さんが陣発します。しかも妊娠34週の早産で、骨盤位(逆子)。さらに片側の上肢が挙上した状態(ドラマ中ではNuchal hand)です。一般的には帝王切開の適応となるのではないかと思われますが、命は無事お産を成功させます。
しかし34週の早産児です。「この子、呼吸してません・・・」どうやら第一啼泣がないようです。乗務員に「アンビュー下さい!」と指示します。すると、成人用のアンビューバッグのマスク部に紙コップが付いた状態で渡されます。34週の新生児には、成人用のマスクは大きすぎるであろうと予想して、命が予め乗務員さんに指示していたのです。実際にはリークして使えないと思いますが、そこはドラマ、It is working ! 無事赤ちゃんは蘇生して、機内に拍手と歓声が・・・。のエピソードが紹介されます。
妊婦や新生児には産婦人科医や小児科医以外はまず対応できないのが日本の医療の現実だと思いますが、小児外科医でありながら、妊婦と新生児にまで対応できる命の守備範囲の広さに驚きます。
私の経験はこんなにドラマティックではありませんが、この様な場面に遭遇したときの参考になれば幸いです。
もう10年近く前の経験になりますが、学会の前泊だったので時間帯は夜だったと思います。機内に持ち込んだPCでプレゼンのチェックを終わらせ、ホッとしているときでした。
「お客様の中に医療関係者の方はいらっしゃいますでしょうか」という機内放送が入りました。
(ドキッ!どうするか・・・ほぼ満席なので自分以外にも必ず医師は乗っているだろうし、アナウンスの声も落ち着いている。よし、まずは名乗らずに様子を見よう・・・)
と思った刹那、ブランケットを手にした乗務員さんが足早に脇を通り過ぎていきました。その瞬間でした。
「すいません、自分は○○の専門医です。もし私の専門でお役に立てる患者さんであれば、声をかけて下さい」反射的に声をかけてしまいましたが、我ながら上手くリスクヘッジ出来たと思いました。
「わかりました。その際にはよろしくお願いいたします。」乗務員さんは軽く会釈をすると足早に去って行きました。(守備範囲なら頑張って何とかしよう。守備範囲でなければしょうがないさ・・・)
程なくして乗務員さんは戻ってきました。
「お休みの所申し訳ありません。お客様の御専門とは異なりますが、ご協力頂けないでしょうか」
(げげっ!そうくるか。でもまあ、そうなるよな・・・)「わかりました」と言って席を立ちました。
現着すると、患者さんは顔色不良でやや意識レベルが低そうに見えました。患者さんの周りには2名の乗務員さんともう一名、若い女性がいました。
私「医療関係者の方ですね。良かった心強いです」
女性「はい、医師ではありませんが・・・。どうやら全身性の痙攣だったようです」
(意識消失を伴う痙攣か・・・まだ若いし卒中系ではなさそうだし、機内で頭部外傷もないだろう・・・)
私「大丈夫ですか?(応答あり)失礼しますね(橈骨で血圧触れるし麻痺もなさそう)。乗務員さん、酸素飽和度測定器と聴診器、念のため点滴のセットを持ってきて下さい」
「わかりました!」足早に去る乗務員さん。
私「仰臥位にするスペースを確保しましょう。下肢挙上で」
体位を確保して少し顔色も良くなってきたところに乗務員さん到着
「これでよろしいでしょうか?」手渡されたのはペラペラの聴診器と自動血圧計でした。
(ん?まあこれ(血圧計)はこれであると助かるが・・・聴診器これか・・・)
心音整、雑音無し(たぶん)血圧は低いが保たれている。呼吸音は・・・このペラい聴診器はもともと音が聞きにくく、機内はエンジン音などの騒音もあり、心音も呼吸音も聴取しにくかったです。
私「酸素飽和度、サチュレーションを計る機械、パルスオキシメーターはありませんか?」
乗務員さん「この中にありますでしょうか?あとAEDもありますが」
手渡されたものも血圧計でした。機内の照明がやや暗いせいもあり確認しづらかったのですが、他に吸引用?のセットらしきもの、アンビューバッグなどがありました。パルスオキシメーターはみつかりません。
ちなみに現在では、機内でこのような事態が発生した際に使用するドクターキットを各航空会社が公表しています。
そうこうしているうちに機は降下し始め、患者さんの意識もしっかりしてきて座位が取れるようになりました。無事目的地の空港に到着すると、救急隊がストレッチャーとともに機内まで来てくれて無事患者さんを収容してくれました。私もホッとして降機しようとすると、機長と乗務員さんがやってきました。
機長「本日はお休みの所ご協力頂きましてありがとうございました」
私「おそらく癲癇発作だと思います。意識も戻ってバイタルも安定したので、私も安心しました。このまま病院に行けば大丈夫だと思います。」
と言って降機しようとすると、アンケート用紙のようなものに記入するように言われたので記載し、所属を記入する欄があったので名刺を渡しました。
乗務員さん「何か気になった点はありますか?」
私「そういえばパルスオキシメーターが見当たらなかったのですが、キットの中にあると助かります」
乗務員さんも「そうですね。確かあったはずなんですが・・・」ということで一緒に探すとありました。プローブと本体が一体型の小さいものだったので、みつけにくかったようです。狭い機内で騒音と薄暗い照明の中での救護活動である上に、緊張も伴うため思った以上に動けないものです。それでも勇気ある女性と乗務員さんの協力もあり、何とか無事にミッションを終えることが出来ました。
ちなみに後日談ですが、航空会社から丁寧なお礼状と、ギフト券が届きました(マイルの加算はありませんでした)。丁寧な対応に深謝です。でも何よりも嬉しかったのは直接患者さんから元気になった旨の電話を頂いたことです。医師として最も喜びを感じるのは、やはり患者さんからの温かい言葉と元気になった姿を確認できることですね。
「僕は見殺しより人殺しがいい・・・」最上命の台詞です。機内のドクターコールに名乗り出ることは、ここまで究極の選択ではありませんが、自分が医師であることを再確認する機会なのかもしれません。